FC2ブログ

【満田研究室ブログ】

佛教大学社会学部満田久義研究室通信

【手しごと絆フェア: 3.11被災者支援活動】

【手しごと絆フェア: 3.11被災者支援活動】のお知らせ
第5回絆フェアチラシ_表-1
第5回絆フェアチラシ_裏

3.11東日本大震災の被災者を支援する「生きがい仕事づくり」の活動支援団体が、被災地における多種多様な支援グッズ、復興グッズ等を一堂に集め、復興支援の機運を喚起し、被災地の自立につなげようとする共同販売イベントを行います。 「手しごと絆フェア: コレカラ Colle-Color」は、被災地復興関連グッズ団体が連携し、準備を進めてきたものです。

震災復興事業には多くの支援が必要です。お金も重要ですが、心情も大切です。日本人のすべてが、心血を注いで、できることから手を差し伸べることが重要です。我々は、被災者のことを、決して、一時も、忘れることはありません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下部の「次のページ」をクリックしてください。
  1. 2015/12/27(日) 20:29:45|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本

【スマトラ沖地震:4歳で生き別れ、10年ぶり家族と再会】毎日新聞8月8日

【スマトラ沖地震: 4歳で生き別れ、10年ぶり家族と再会】
************
【奇跡が再び降臨】
このニュースがインドネシアのテレビで放映されたのをきっかけに、別の島で生き延びていた兄が発見されたそうです。奇跡の家族再会が2度もあるとは?

まさに奇跡の中の奇跡ですね!
************

2004年12月26日のあの瞬間は決して忘れません。成田空港でCNNの大津波報道を知ってからすでに10年、アチェ被災者への追悼の念を抱き続けています。

そして今、「奇跡のような素晴らしいニュース」が目に入りました。

『あの十数メートルの真っ黒な津波にさらわれた4歳の少女が、奇跡的に離れ小島で生き延びて、10年たった今日、家族に再会できた』との報道。

アラーのご加護でしょうか。いや、人間の素晴らしい生命力の奇跡!!
*******************************
[毎日新聞 2014年08月08日 01時21分]は、以下のように報道しています。

 2004年12月のスマトラ沖地震による大津波で16万人以上が死亡・行方不明になったインドネシア・アチェ州で、津波に流されて行方不明になっていた少女が約10年ぶりに家族と再会を果たした。地元メディアは「奇跡の再会」と伝えている。
 地元メディアなどによると、少女はラウダトゥル・ジャナさん(14)。04年12月26日、同州西アチェ県に住んでいた4歳の時に津波に襲われ、母親ジャマリヤさん(42)ら家族と生き別れになった。 ジャナさんは海に流された後、スマトラ島沖の小島周辺で漁師に助けられ、南西アチェ県にある漁師の家で育てられていた。(共同)
アチェ追悼と愛惜
2004年12月26日のスマトラ沖地震バンダアチェ市被災地にて

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下部の「次のページ」をクリックしてください。
  1. 2014/08/09(土) 00:16:32|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本

【スマトラ沖で大きな地震再び】

【スマトラ沖で大きな地震再び】

11日午後3時39分(日本時間同5時39分)ごろ、インドネシアのスマトラ島西方沖でマグニチュード(M)8.6の地震が発生。04年12月26日に同一海域で起きた大地震による大津波により、アチェ州は壊滅的打撃を受け、20数万人もの犠牲者が出た。わたしたち「アチェの子供を救う会」は、2005年からマラリア診断キットを現地寄贈し、震災直後から被災住民の面接調査を継続して実施してきた(詳細は佛教大学社会学部論集)。

震災から5年目、再度バンダアチェ市で面接調査を実施した帰路、同市から高速ボートで1時間、インドネシア最西端のパラウエ島を訪問。その海底には、地殻変動とみられる海底温泉が湧きで、漁民は今までなかった海底断層があると報告していた。

04年の大震災後もスマトラ沖では大きな地震が続いた。8年もたった今日、大地震が再び襲う。日本人への警鐘かもしれない。もし茨城沖で巨大地震が発生するとその影響は甚大だ。東京一極集中のツケがくるのではないかと考え込む。杞憂であることを祈念する。

モスク以外何もが破壊され、一面瓦礫の山だった。当時被災現場の写真を繰り返し、経世のために語り続けたが、ほとんどの日本人は無関心だった。東日本大震災の現実を経験するまでは。
04年の大津波の現場。モスク以外何もが破壊され、一面瓦礫の山だった。当時被災現場の写真を繰り返し、経世のために語り続けたが、ほとんどの日本人は無関心だった。東日本震災の現実を経験するまでは。
恐れおののくこともないが、決して忘却してはいけない。我が子を守る母の無念を。
恐れ怯えることもないが、決して忘却してはいけない。我が子を守る母の無念を!(04年バンダアチェの津波被災現場)
パナヨン橋の下05.09
バンダアチェ市内のパナヨン橋の下(04年バンダアチェの津波被災現場)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下部の「次のページ」をクリックしてください。

  1. 2012/04/11(水) 21:28:34|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本

【あれから1年、震災ボランティアを思う】

【東日本大震災から1年、ボランティアを思う】

東日本大震災から1年が過ぎた。あっという間の、そして、重苦しく長い1年間が過ぎ去った。

「続けようボランティア、被災地の方々が必要とするのなら」と心新たにする。これから1年、2年、3年、4年、5年、10年。「少しでも役に立つ」と言ってもらえるならば、続けよう。

社会人のボランティア。金曜の夕方、仕事帰りの京都駅ロッカーにスーツと革靴を預け、ボラセン・バスで1泊4日の弾丸ツアーで被災地に向う。たった1日・2日のがれき撤去だが、被災地の方々から食事を、風呂を、そして、笑顔と勇気をもらう。月曜早朝、スーツに身を包み、再び、日常の仕事に向かう。疲れはあっても、朝焼けに希望を見る。

続けよう、ボランティア。被災地の方々が必要とするかぎり。

++++++++++++++
満田ゼミ生のボランティア報告
++++++++++++++


初めまして。佛教大学社会学部公共政策学科の新4回生中西真士(ナカニシ マコト)と申します。

私は、2011年の年末、12月26日から28日の短期間ですが、宮城県気仙沼市大島でボランティアに自主参加したので、当時のことを報告します。
大島フェリーに出迎える「おばか隊」の皆さん
気仙沼市大島フェリーに出迎える「おばか隊」の皆さん
気仙沼市大島でのボランティ活動参加
気仙沼市大島でのボランティ活動に初参加しました。

25日正午に京都を車で出発し、翌日早朝4時宮城県仙台市に到着。16時間ほどドライブしました。茨城県周辺から猛烈な吹雪に襲われ、渋滞続きの車旅でした。福島県へ着くと、とても異様な光景に出会いました。雪が止み、高速道路の照明以外、周辺から明かりが全く存在しなくなりました。街全体から発せられる光が存在しなかった。「いよいよ津波の被害を受けた街へと足を踏み入れるのだ」と、緊張して運転したのを覚えています。そして仙台市でもう一人のメンバーを拾い全員5人で、気仙沼フェリー乗り場へと向かいましたが、家屋は破壊され、地盤沈下により凹凸の激しい道路、信号機や電信柱はことごとくなぎ倒され、やっとの思いで撤去した瓦礫の山は、交通に支障ないよう廃屋に放置されたままでした。
気仙沼フェリー乗り場近くに打ち上げられた漁船
気仙沼フェリー乗り場近くに打ち上げられた漁船
陸前高田市駅にあった大木痕
陸前高田市駅にあった巨木痕

早朝6時前だが、フェリー乗り場へとどんどん人が集まって来ます。仙台市の沿岸部だけでなく、内陸部に住んでいる住民が気仙沼に通勤していた。フェリーが気仙沼へと近づくと、震災の爪痕に恐怖心を覚え、絶対に忘れられない光景でした。現地スタッフの方とぐるっと大島を一周、被災状況の説明を聞いた後、ボランティアが集合する公民館へ。公民館では、復興のために住民活動している「おばか隊」に出会いました。この名前を笑われる方もいるかもしれませんが、このネーミングには、被災者しかわからない深い意味があった。被災直後の大島は、船着き場は崩壊し、車もまともに走れない、通信連絡手段のない状態でした。ガソリンや船が不足しても、孤島となった大島には、長らく国の支援援助が届かなかった。

「島民は人数が知れているし旧知の仲。島民全員が一丸になって頑張ろう。皆でできるほんの小さな事からやっていこうじゃないか。どんな些細な事からでもいい。バカと思われても、ともかく行動しないと、何かしないとやってられない。気がまいってしまう」と。このように「おばか隊」は行政の働き掛けではなく、住民自らが主導して誕生した。おばか隊の仕事は、①公民館の掃除 ②ボランティアの受け入れ ③大島の住居瓦礫撤去などなど、本当に多岐にわたり様々です。「おばか隊」の活動を見て感じたことは、被災した彼らが本当に優しすぎるほど親切。ボランティアの私たちが、「被災者の方々を少しでも元気にしてあげたい」と思っていたが、逆に元気をもらいました。

3日間と限られたボランティア活動でしたが、大島住民が抱える最大の問題を知ることができました。それは、「仮設住宅に住む人々の心のケア」(おばか隊代表の村上氏)。仮設住宅に移って時が進むにつれ、仮設住宅から一歩も出ずに食事配給の時だけにしか外へ出ない住民が増加しています。コミュニケーションが取れずに引きこもりがちになると、頭を抱え悩んでいらっしゃる様子でした。

僕たちのボランティアはがれき撤去だけでなく、子供たちにダブルダッチ(2本のロープで縄跳びをする新しいスポーツ)を教えて、楽しんで貰おうと努力しました。意気込ん出向きましたが、やはりなかなか思うようにはいかず、挙句に、ある老人には、「食事配給でないのか」とがっかりされ、足早に去っていかれた光景は今でも忘れません。
気仙沼復興のシンボル「気仙沼復興屋台横丁」 
気仙沼復興のシンボル「復興屋台村、気仙沼横丁」

おばか隊はこれまでがれき撤去を中心に復興に力を注いできました。急に被災民の心のケアに傾注することは難しいと言います。教育や福祉に関心がある学校の先生やボランティアが率先して、住民生活や心の支えに焦点を当てたイベントを考え、現地の学校でボランティア企画をする方が良いのではないか、反省しています。準備不足のために、課題の多く残る最初のボランティア活動でした。次回を期します。

最後になりましたが、現地の方々(おばか隊)からのメッセージです。
船着き場での別れ。最後まで手を振る住民の皆さん
船着き場での別れ。最後まで手を振る大島住民の皆さん
大島公民館に飾られた感謝の言葉と写真
大島公民館に飾られた感謝の言葉と写真

「皆さんには、まずは自分たちの今ある普通の生活を大切にしていただきたい。しかし、今回の震災や被災者を忘れないでほしい。そして、復興して綺麗になった大島をはじめ、福島、宮城、岩手など東北を訪れ、楽しんで欲しい。東北復興を祈って頂けるだけで十分です」「支援援助してほしいことは山々ある。しかし、支援の人達が満足のいく作業ができなければ、こっちが気を遣ってしまう。大島を少しでも復興したいという気持ちで必要な力を貸して頂ける方なら喜んで貸して欲しいです」と。

皆さんボランティアについてどのようにお考えでしょうか?私は、ボランティアとは「瓦礫撤去」だけではないし、また、自己満足のために「出来る事を100%やり遂げること」でもないと思います。被災した方々やボランティアに関わる人々の気持ちを理解することが最も大切だと思い知りました。

大島公民館には、住民からの感謝の言葉、ボランティアの写真で一杯でした。次回は私の写真も、もう一枚として加えてもらおうと心に決めました。

この報告が、ボランティアについて何かを考える契機となれば幸いです。

社会学部 公共政策学科 新4回生
満田ゼミ/ゼミ長  中西 真士

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下部の「次のページ」をクリックしてください。
  1. 2012/03/11(日) 22:27:11|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本

東日本大震災から半年ーボランティア支援、続々続くー

東日本大震災から半年ーボランティア支援、続々続くー

あの日から半年が過ぎました。日本へ帰国し、一か月ぶりにテレビのチャンネルを。どの局も震災特集を組んでいます。

国難ともいえる今回の震災は、日本人すべての課題ですし、追悼の念を復興エネルギーに再生しなければいけません。被災者個人はどれほど努力しても限界があります。絶対に絆の手は離してはならないし、より強固なものにすべきです。

夏休みを利用して、学生たちも、先輩たちも、続々と東北被災地を目指しています。

以下に、2006年度卒業した古田智保君(大阪府小学校教員)が現地での思いをメールしてくれましたので、参考までに一読ください。

++++++++++++++++++
~被災地の真実 (宮城県石巻市黄金浜地区)~

8月10日~13日まで、現地に復興ボランティアとして訪れました。そこでは、震災後5ヶ月たっても今尚不自由な生活を強いられていました。現地でお世話になった方が「ぜひ被災地の真実を伝えてほしい」とおっしゃっていたので、その任務を果たすべく、自分が見聞きしたことをそのままに記したいと思います。

☆現地まで

 車で11時間、仙台に入ったあたりから少しずつ震災の爪あとを確認することができました。一番は道路。高速道路にも関わらずやけにデコボコ。あちこちに新しく補修された後や、道幅が狭くなっているところも。震度7の激震によって破壊された道路の映像を見ていたので、むしろ、よく今走れるようになってるなという気持ち。その高速道路を走りながら、左側はまぶしいばかりの大都会の明かりが。右側は明かりもまばらな暗い感じが。道を挟んで津波の被害があるかないか。都会か田舎かがすぐ分かるような光景に、同じ被災地宮城県なのにと変な気がする。

 着いたのは午前0時。その日は車中泊で、道の駅に停車をして一緒に行った人と二人、月明かりの下で遅い晩御飯を食べた。道の駅はボランティアの集会場みたいな感じで同じように車中泊をする人、テントで寝る人などスタイルは様々だが、たくさんの人が被災地で頑張っている姿を見てやる気がさらに沸いてきた。一人50代か60代のおじさんがテントで寝ていた。横に止められていたのは50ccの原チャリ。ナンバープレートには京都市下京区の文字。テントには飼い犬が一匹。人生を賭けてここに来てるのが雰囲気でわかるほどそのおじさんは何かオーラがあった。

☆現地石巻市黄金浜会館

 現地の黄金浜と言うところでは、一つの公民館を拠点として普通の町のおっちゃんが代表として市民グループを構築し、you tubeやインターネットの掲示板など、情報機器を駆使して被災地の今を世界に発信し、支援を呼びかけながら町の復興に尽力されていました。(you tubeで「黄金浜 藤田」と検索するといくつか動画が出てきます。興味があればごらんください。)

 もちろんその代表の方も被災者であり、身内の方もなくされているよう。でも、そんなことを微塵も感じさせない明るい様子でボランティアの人・地域の人を分け隔てなく接していて、本当にアットホームな市民活動をされていました。その方が話されるに、行政の力はやはり大きいが、それが隅々まで行き渡っておらず復興がどんどん遅れているということ。震災直後、機動隊・自衛隊などが地域に入ったものの、それらを統括して指揮する力が無く(市長の力不足?)、田舎のほうはほとんど何もされないままに終わってしまったということ(都市部の復興は着々と)。津波直後、現地の人が一生懸命自力で遺体を捜索し全て見つけているにもかかわらず、重機を使って廃墟の撤去作業をしてくれなかったこと(いくら住民が言っても大規模捜索中ということも相まって手を付けられなかった、手を付けていいのか困った様子)。

 そして最も興味深い話が、公民館といった地域の人々のよりどころになる場所・拠点があるかないかで復興へのスピードが格段に違うと言うことを話されていました。こんなときだからこそ、人々がチリジリになるのではなく、プレハブでも何でも良いから建ててそこを拠点として活動をするということ。その際、「お前は違う地区のものだろ」というように差別をするのではなく、だれでもいいから支えあい助け合うことの大切さを語っていました。

☆ボランティアライブ 一日目 AM・二日目お昼

 現地に行くに当たって、復興作業もさることながら、なにか被災者の方々にできないものか。物的支援でもなく精神的な支援はできないものかと色々考えていました。そこで、もう一人一緒に行った人は同じ太鼓チームの人で、篠笛が吹ける人。自分は太鼓が叩ける人。そんなわけで、今回は太鼓を持っていって知人と二人で即興の演奏活動もさせてもらいました。その一箇所目は保育園。一つの園が津波の影響で使用不能のため二園が合同で過ごされていて、子どもの数はなんと150人!その子ども達の前で演奏をしました。みんなとっても喜んでくれ、プレゼントに持っていったおもちゃも喜んでくれました。二箇所目はお世話になった黄金浜会館。ボランティアの人や地元の人たち50人ほどの前でやらせてもらって、これも大好評。地元の方に「元気が出ました、ありがとう」と言ってもらい、本当に自分が行った意味は少しでもあったんだということを実感できました。

 子ども達にも今回の地震・津波は大きな影響を与えていたようで、保育園の先生から話を伺っていると、夜も中々眠れない子。たくさんの大人と一緒にいたがる子(助けてもらえるという保障のため)など、精神面での傷も相当あるようです。また、遊びにも変化が見られるようで、緊急地震速報や津波の時の避難のサイレンをマネして言いまくる子もいれば、砂場では何か作るに際しても「まず基礎を固めて…」(地震で潰れないように基礎を固めると言うこと)と、知らず知らずの間にそういった情報が入り込んでいるよう。地震直後に至っては、朝子供同士が顔をあわせるや否や「地震どうやった?!」「そっちは津波大丈夫やった?!」というように、保育園児とは思えぬ会話があったり、「津波がきたら高いところに避難するんですよ!」と、教え口調で会話をする様子も見られたそうです。子ども達自身にもやはり甚大な影響があったんだと、そうした話を聞きながら改めて感じたし、これから、園児達だけでなく被災者全体に対する精神的な支えが何より求められるのではと感じました。

石巻市内の保育所でのボランティア演奏の様子(石巻市立鹿妻保育所、8月11日)
「石巻市内の保育所でのボランティア演奏の様子」(石巻市立鹿妻保育所、8月11日。古田撮影)

☆復興作業 側溝掃除

 作業の内容は、側溝の掃除といっても、側溝の蓋は大人二人が石盤を挟んで持ち上げる器具を使ってやっとの思いで外していきます。重さは30kgはゆうにあります。また、石盤をとると、側溝には瓦礫・泥・ヘドロが入り乱れたものがぎっしり詰まっている感じ。それをスコップやデッキブラシを使いながら土嚢袋に詰めていく作業。底の方のヘドロは黒っぽく(油がまみれているので、)土の中に埋まっている粘土を掘るような大変な力仕事でした。

 出来上がった土嚢もゆうに20kgはあり、到底この地区に住む多くの年配者の方々では不可能な作業。会館の代表の方もとにかくマンパワーが必要、どんどんボランティアに来て欲しいと言うことを何度も仰っていました。また、同じヘドロでも、ある程度固まってくれていたらいいのですが、場所によっては当時のままのドロドロのままの場所もあり、海に近く横に水産加工工場があるため、魚(かなにかもうわからない物体)が腐ったものがたまっていて手が付けられない(土嚢袋に入れても漏れ出してしまうし、何よりも強烈な臭いで作業の仕様が無い)場所もまだあります。こうしたところは人の力ではどうしようもなく、行政の処理作業を頼むしかないとおっしゃっていました。でも、いつ来てくれるか。そんな保証はどこにもありません。

☆周辺の様子

 まだまだ周りには一階部分がえぐられているにもかかわらずそのまま放置された家々。家の中のものも周辺に散乱したものも当時のまま。まるで金槌で粉々に粉砕した後のようにぼろぼろになってるビデオテープ。津波の威力のすさまじさを改めて見せ付けられた。作業の休憩時間にさあ休もうと腰を下ろしたコンクリート。…?よく見るとそのコンクリートはずっとつながっていて一本の四角い形になっていた。そう、ここには家があった場所。家の基礎だけが残されているのだ。じゃぁ上の部分は?答えは簡単、流されて粉々に散って、足元に転がってる木切れになってしまっている。でも、それが当たり前。

 車で少し見て回った。あたり一面何も無い場所もあった。津波と火災で廃墟になってしまった小学校。大量に山積みになった廃棄物、車。どこからともなく転がってきた缶詰会社の大きなモニュメント。信号機の変わりに立っている警察官。今尚地盤沈下で冠水したままの道路。ジェットコースターのように波打つ道路。全てが本当に同じ日本なのか?これでいいのか?とただただ唖然となった。テレビでよく言われてる復興。ほんまに進んでるんか?!と大きな疑問になり、「もっと早くなんとかしたってや!!」と、現地人でもないのに激しい怒りがこみ上げてくる。

☆現地の人の声

 これから心配することとして、ひと段落付いたこの時期だからこそ先行きの見えなさから自殺をする人が増えるのではないかと危惧されていました。劣悪な環境(テレビでは復旧してると言っているが、現地では今だに炊き出しなどの配給が行なわれている。人間、1日3食として週21食必要だが、配給されるのはその内3食のみ。しかし、その3回とも今だに長蛇の列が並んでいる。そして、廃棄物や側溝からの臭いとあたりを飛び交うハエ)の中、行政は口をそろえて助けの手を差し出すのではなく「自立しろ」の一点張りだとか。おかしいだろ?!まだ復興のスタートラインにも立ててない人が山ほどいる中で自立なんか無理だろ?!と、話を聞きながら本当に今の国の理不尽さにあきれる感じがしました。

 でも、現地の人たちはとにかく支えあっていた。なにをするにしても差別をしないというのが代表の方の考え方らしく、みんな同じ境遇。だからこそ例え隣町からふらっと公民館にきた人に対しても「まぁまぁメシでも食っていきなよ」ともてなす。少し離れた老人ホームが津波で泥まみれになったら、そこをキレイにしにいく。「ここの側溝も掃除しないと」という住民の声に耳を傾けボランティア全員で掃除をしていく…。そのようなことをしているうちに、メシを食わせてあげた隣町の人は、「これ何かに使って」と食べ物をおすそ分けに。きれいにしてもらった老人ホームの方は、「疲れを癒してください」と、浴場を会館の人に開放。側溝掃除を依頼した方からは、「熱いのにご苦労様」と、家の中に休憩場を作ってくれたり、冷たい飲み物の差し入れなど。本当に、当たり前の人のやさしさがそこには満ち溢れていて、支えあって生きているということを目の当たりにすることができた。

 最後に会館を後にする時に向こうの副代表の方に「本当の現地の姿を伝えてください」と言われました。でも、言われるまでもなくそうしたいと強く感じた。復興なんかしていない。テレビでやってるみせかけだけの復興はウソ。いや、都市部や重要な拠点地区は復興はされているから、完全なウソではないかもしれない。でも、全体的に見たら確実に復興は止まっている。進んでいない。報道メディアの方が現地に取材に来ると、取材場所を選ぶために「復興の進んでいる地域はどのあたりですか?」という聞き方を平気でするそう。テレビの中では、見せ掛けの復興の様子を見て「もう大丈夫」と言いたいのかもしれない。でも、現地は違う。

公民館で1日目の仕事が終わった後に現地の人、ボランティア、みんなで現地の方に「おつかれさん」と言われて、(おそらく配給で?)もらったお弁当を頂いた。電子レンジで熱々にあっためてもらった。ありがたいなぁと思いふと蓋をみると、消費期限は昨日の日付。でも、それが当たり前。

 二日目の朝、会館に行くと昨日仕事を一緒にした人がひげをそって歯を磨いている。「ごめん、今日はハローワークに行くから作業できないわ」と言っていた。当たり前だ。自分の仕事がないのだから。お金がないと何もできない。そうすると、復興をしながらも確実な格差が生まれていく。そうすると、その格差から今後の人生を悲観して…。そうしたデススパイラルはすでに始まっているのかもしれない。

 住民の多くが働いていた水産加工場、スーパーはもうない。都市部に働きに行きたくても通勤のための車が無い。何もないのだ。その現状を知ってか知らずか行政は「自立しろ」。ふざけるなと本気で思わされた。

 震災は、復興はまだまだ終わっていない!だからこそ、自分達にできることをもっと考え、探し、これからも行動をしていきたいと考えています。

以上が自分がみた被災地石巻の現状と雑感です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
古田 智保 (Furuta Tomoyasu)
大阪府茨木市立中津小学校 教諭
島本町和太鼓教室青年の部 代表



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下部の「次のページ」をクリックしてください。

  1. 2011/09/12(月) 19:01:59|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本
次のページ

FC2カウンター

プロフィール

佛教大学社会学部満田研究室

Author:佛教大学社会学部満田研究室
【本ブログの休止と新ブログ『マラリア通信(仮称)』のお知らせ】
満田研究室ブログは、2009年満田教授の海外研修の時、満田ゼミ生との情報交流のために開設された海外通信ブログ。インドネシアのマラリア制圧に関する情報からエコツアー、原発、感染症パンデミックなどのホットな話題をブログ形式でお送りしてきました。
満田教授は、2009年4月から半年間のドイツ・オスナブリュック大学日本研究所とイ ンドネシア国立マタラム大学医学部での海外研修から帰国。さらに10月から3月までの京都大学大学院経済学研究科での研究員生活を終え、2010年4月からは佛教大学社会学部公共政策学科教授に復職しました。
2011年からはマラリア制圧のために、セレベス、パプア、アロール島などでマラリア医療支援活動を継続。また、エクアドルのアマゾンジャングルにある世界で最も生物多様性が高いヤスニ国立公園の自然保護活動や、ベトナム政府および国連機関とのベトナム農村での持続可能な観光に関する共同研究も実施しました。
2013年12月からセレベス島北端のバンカ島で中国企業による鉄鉱石開発からジュゴンを守る国際NPO[ジュゴン環太平洋ネットワーク]の創設準備。沖縄辺野古沖のジュゴンに関する基本情報を収集し、ジュゴン保護に関する研究を実施しました。
2019年3月、佛教大学社会学部を定年退職(同大学名誉教授)。 9月からインドネシア国立マタラム大学医学部客員教授として、ロンボク島でのマラリア撲滅のための社会貢献活動に尽力する予定です。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

妊婦さんにミルクを❗️プロジェクト (7)
平成が終わり、昭和が去る。そして、令和を拓く! (14)
佛教大学最終講義190118 (10)
素晴らしいお知らせ (201)
アチェの慟哭と哀惜、あれから10年 (1)
マラリア戦争の深部 (25)
マラリアの社会学(続き) (7)
NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本 (37)
18ロンボク震災報告 (2)
海洋哺乳類との共生への道 (40)
ザトウクジラとの遭遇、ドミニカ大西洋洋上300km (5)
サンイグナシオ・ラグーンとコククジラ、メキシコ (2)
ジュゴンを救う!活動、セレベスから沖縄 (35)
世界海中遺産の旅 (7)
バヌアツ物語 (4)
PNG巡礼の旅 (5)
極楽鳥の舞う島の子供たち (1)
ラジャ・アンパト:極楽鳥の舞う島の子供たち (6)
卒業生通信 (15)
エコツーリズムへの招待 (11)
ちょっとブレイク (52)
環境社会学への誘い (15)
環境と地域 (11)
ふるさと納税 (2)
環境と地域+エコロジー (3)
環境と開発 (7)
原発の話 (27)
ヤスニ提案を読み解く (10)
アマゾンジャングルからの報告 (4)
ダーウィン巡礼の旅 (13)
緊急アピール (25)
新型インフルエンザとパンデミックの旅 (9)
環境と開発エコロジー (2)
ブータンからの便り (12)
赤道の国 (2)
ベトナム新農業・農村開発10か年計画 (2)
ドイツ生活 (1)
インドネシア生活 (1)
未分類 (13)
訃報 (6)
管理人 (1)
知床秘話 (4)
仁淀川からの風 (1)
社会的起業の提案 (1)
エボラ出血熱 (4)
沖縄・石垣からの風 (3)
知床世界遺産 (1)
京のおもてなし文化の旅 (9)
平成28年熊本地震 (3)
命 ファースト! (1)

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する