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【満田研究室ブログ】

佛教大学社会学部満田久義研究室通信

【卒業生リレー通信】 ⑮ 【全学総代が送る教師を目指す諸君へのエール】 

【卒業生リレー通信】⑮
【全学総代が送る教師を目指す諸君へのエール】

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平井(旧姓片山)佑子君(平成2年度卒業)は、「全学総代」(全学部卒業生で成績一番)の優等生だった。彼女の成績は、150単位以上の平均得点が95点弱。とんでもない白眉だった。2回生時、彼女のリポートを読んで、感嘆絶句したのを覚えている。私の講義は常に準備などしたことがない(なかった)。だから、話は飛び飛びで、支離滅裂?ところが彼女のノートを見ると、ものの見事に論理再構成がなされ、私が伝えたかったことが一目瞭然。教職を目指す諸君、総代のエールを確と聞き入れるとよい。必読!

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平成2年卒業の平井(旧姓片山)祐子と申します。現在京都府内の中学校で社会科教諭として勤務しています。以前、このリレー通信に掲載された小林君とは同期です。彼からのバトンを引き継ぐよう、満田先生から言っていただきました。これまでの数々の通信を読ませていただき、私が学生のみなさんにどのようなことをお伝えできるのか、と少々不安な部分もありますが、一社会人として日頃思っていることを書きたいと思います。
 
 さて、まず満田先生との出会いですが、その講義を受けたとき「何か違うぞ。この先生は・・」と思ったこと覚えています。今から思えば、私が現在就いている教師という仕事の在り方に大きな影響を与えていただいた出会いでした。では、どのようなことに影響を受けたのかですが、やはり最大のポイントは「伝えたいことが、明白である」ということです。先生のお話は、言いたいことが学生にスムーズに伝わるように、ずいぶん工夫されていたように思います。講義によっては最初に結論がどん!と出された展開もありました。また、視覚に訴える教材を準備されたり、自分自身の体験談をふんだんにもりこまれたり・・・。とにかく受講する学生の集中を高める工夫が随所にありました。

 私自身、毎日生徒と接しながら、「伝えること」の難しさを身にしみて感じています。自分が分かっていても、それを人に分かってもらうのは、本当に難しいことです。 例えて言うなら、自分はテニスのボールをうまく打てる。でもその打ち方を初心者に伝え、うまく打ってもらうのは難しいですよね。それを何とかして打ってもらうようにすること。それが教師の仕事です。途中でやる気がなくなって、ふてくされることもあります。生徒によってできる速度には違いがあります。また、一生懸命やる生徒もいれば、ちょっと気が抜ける生徒もいます。練習中に仲間とトラブルになる生徒だっているかもしれません。100人生徒がいたら、100通りの習得方法があるのです。それに粘り強くつきあっていくのが教師です。
 
 私がいた頃の満田先生のゼミには、強烈な個性を持った学生がたくさん集まっていました。だから、先生はさぞかし大変だったと思いますが、私たちがするどんな質問にも、まっすぐに答えていただきました。「この先生は本気や」だから、あの個性派集団がまとまったのだと思います。当時のことをも踏まえて、私が教師として、大切にしていることを、書き出してみたいと思います。

①本気でやる。
②粘り強くやる。
③思いやりを持つ。
④背景を知る。
⑤自分のチャンネルを増やす。
⑥昨日より、少し前進する。

 ①・②は満田先生から学んだことです。中途半端な気持ちでは、人に何かを伝え、また成長させることなんてできないと思っています。生徒の人生のたった数年ですが、成長期の彼らと接する責任を、日々感じています。

 ③は、いろんな意味がありますが、その中の一つは「難しいことを難しく教えるのは誰でもできる。難しいことを易しく教えてこそ、生徒への思いやり(優しさ)」という教えです。そこには、教育的工夫が必要です。その工夫は簡単ではありません。しかし、それを怠たることはできないのです。

 ④については、先ほど、100人の生徒がいれば100の習得方法があると述べましたが、同じように100人の生徒がいれば、100のご家族が、100もの願いがあります。生徒は学校でいろんな顔を見せますが、その顔は生徒の生活のほんの一部です。昼食の時間。みんな何事もなく普段通りにお弁当を食べていました。私が担任していたある男子生徒も、いつものようにお弁当を友達と食べていました。その日の夕方に、男子生徒の母親から電話が入りました。「先生、お陰様で退院しました」と。何のことかと思いました。実はそのお母さんは事故で入院されていて、その間の食事はほとんどその男子生徒が作っていたのです。しかもその事実を学校の誰にも告げず、家では家事のほとんどをこなしながら、普段通りに学校に来て、普段通りに部活をしていたのです。でも、時々珍しく授業中に眠そうにしていることもありました。事情を知らない私は、またゲームでもして寝不足なんだろうと、高をくくっていたのです。本当にどきっとしました。その時「あんた、またゲームやろ?」なんて声をかけていたら、どんなにその生徒の心を傷つけていただろう、と思うと冷や汗をかきました。生徒は、学校に来るまでに、私たちの知らない多くの時間を過ごして、いろんな背景を背負って登校します。それをできるだけ知ろうとすること。これは教師には不可欠な要素です。

 ⑤は、④と重なることかもしれません。100人の生徒がいれば100の個性があります。その中の何人かは、私とほぼ似たような価値観を持っているとします。好みや考え方が似通っているもの同士なら、うまくいきます。でも肝心なのは、似たもの同士でない(異なる個性を持った)生徒とも必ずやっていかなければならないということです。だから、自分の趣味でない本でも、テレビでも、何でも生徒が興味を持っているものは知っておきたいと思っています。そして、そんなことをしながら、それぞれの生徒が発している電波にチューナーを合わせながら接することができる教師になりたいと常に意識しています。

 ⑥は、どんな仕事にもいえることだと思います。生徒は毎年変わります。同じ教材であったとしても、同じ教え方でうまくいくとは限りません。年齢を重ねても新しいことを吸収する姿勢を持ち続けないといけない。

 次に、これから社会人として(教師を目指している方なら教師をめざしている者として)羽ばたいていかれる学生の皆さんに、僭越ながらアドバイスをするならば・・ということで何点か書かせていただきます。
  
①自分自身をよく見ること
 自分自身が今までつきあってきた人たちの、その層を思い出してください。どんなことに関心を持ち、どんなことを楽しみ、どんなことに憤ってきたのか、等です。そうすると、自分自身の価値観がよくわかるかもしれません。

②今までつきあったことのない人と関わってみること
 おそらく今までつきあってきた人と同じような価値観を持った人とはうまくやっていけるでしょう。でも、そうではない人の方が、きっと世の中にはたくさんいるのです。そういう人と、学生時代はあまり接点を持つことがなかったかもしれません。でも社会にでると、そういうわけにはいきません。苦手なタイプの人や、自分と全く異なる考え方をする人ともうまくやっていかなければならないのです。だから、自分とは違う人とこそ、積極的に関わるべきだと思います。

③一言の付け加えができること
 具体的にいうと、「おはようございます」のあとに何が言えるかです。「おはようございます。昨日はしんどそうだったけど、今日はどうですか?」「おはようございます。先日は大変良いお話を聞かせていただきありがとうございます」など、何か付け加えることで、相手との関係がよくなります。自分のことをこれだけ分かってくれている、心配してくれていると思うと、嬉しくなりすよね。

④アンテナを高くはること
 人は、いつも同じ状態とは限りません。その人のその時の雰囲気、態度、言葉遣いからどれだけその人の状態を読み取れるのか、読み取ろうと努力するのかということです。
         
 上の①~④のことを一言で言うなら「コミュニケーション能力」です。いろんな人とつきあい、今まで話さなかった人と話せる力を身につけてほしいのです。今の学生は・・などいうつもりは何もありません。ただ、若く心も柔軟なときこそ、この力を身につける絶好の時ではないかと思います。そして、その力が身についていれば、どのような環境に自分がおかれても、しなやかに強くやっていける。

 私たちの時代とは違い、就職もかなり厳しい状況ですね。でも、自分を磨き、頑張っていただきたいと衷心より祈ります。つたない文章ですが、教職を目指す皆さんへの思いやりのメッセージと受け止めてください。ありがとうございました。

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  1. 2012/07/22(日) 21:53:22|
  2. 卒業生通信

【ブータンからの便り(1)】「ブータンとの出会いと縁に恵まれて」 中島 民樹

【ブータンからの便り(1)】(卒業生リレー通信14)

中島民樹「ブータンとの出会いと縁に恵まれて」

ブータン王国は、爽やかな国王夫妻の日本訪問を契機に、「世界一幸せの国」として国民的関心を集めている。しかし、その国の実態は必ずしも正確に理解されているとは言えない。とくに、地元の人々とともに暮らしてこそ体感できる生情報は貴重だ。そこで、ブータン王国首都ティンプーの市役所職員として廃棄物処理を担当している中島民樹君(満田ゼミ平成14年度卒業)に、ブータンでの暮らしについて、また、彼はなぜ「ブータンを研究し、支援しようと考えたのか」を語ってもらうことにする。
【訂正】中島君を本ブログで「昭和14年度」卒業生と紹介したが、「平成」の誤りです。
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はじめまして。満田ゼミ平成14年卒業の中島民樹です。現在は、ブータン王国で暮らし、働いています。満田先生から依頼がありました「ブータンとの出会い」から「ブータンで実際に暮らし、働いて」等、【ブータンからの便り】として数回に分け、綴ってみます。第1回は「ブータンとの出会いと縁に恵まれて」です。

私が初めてブータンの地を訪れたのは1996年の冬でした。高校1年生です。英語は全くできませんでした。そもそも、ブータンという国があることさえも知りませんでした。神戸の六甲山育ちの私は、エベレストなどの高山に憧れていましたから、ネパールを旅したいと父の知人に頼んだのです。その人は毎年ネパールにトレッキングに行っていたのですが、なぜかその年はブータンにも行くとのことでした。「ブータンって何ですか!?」が私の第一声でした。私の横で電話を聞いていた母が「ブータン?行きなさい!!」と忠言。「はい!行きます」と即答・・・って感じで、私の初ブータン行きは決まった。母は高校生のころに、「秘境ブータン」(中尾佐助著)という本を読んでいて、想いを馳せていたそうです。当時は、ブータン入国が極めて難しかった。そこで、息子にその温めていた想いを託したのでしょう。

初のブータン旅はたった3日間の滞在でした。観るもの感じるもの全てが新鮮でした。飛行場の建物は小さな平屋が一軒あるだけ。荷物は外にポイッと置かれていました。食事はとても辛かったです。なんと、唐辛子を香辛料ではなく野菜として食べる国です。首都のティンプーでは、車は数台しか走っていません。首都といっても日本の田舎町みたいな感じで、目につくのは野犬だけ。ブータンの人々は日本人に顔立ちや仕草がそっくりです。着用が義務付けられている民族衣装も日本の着物に似ています。会う人は誰もが親切で、とてもとても親近感が沸いたのを覚えています。

この数日間の滞在体験を通じて「あぁ、そうなんだ」とある思いに至った。直観的に自分がブータンと何らかの繋がりを持つ。すなわち、「縁(えにし)」を体感した。当時は、まだはっきとは判りませんでしたが、「輪廻転生」(りんねてんしょう)の考え方に立てば、「私の前世はブータンに居たのだ」と、いまは信じられます。今まで世界20か国を旅しました。どこに行ってもブータン人やチベット人に必ず会うのです。これも、何かの「縁」ですね。

もっともっとブータンを知りたい。そう思った私は、つたない英語で手紙を書き、あるブータン人と知り合いました。2000年に彼に招待してもらって、2週間単独でブータンに「戻って」きました。ブータンの家庭に宿泊させてもらって、ふつうのブータン人の生活を初体験しました。家族はとても絆が強く、食事は必ず皆で一緒に食べていました。友人をたくさん紹介してもらいました。街中で会うと必ず、「食事に来い」と招待されます。人と人の絆をとても大切にする国民だと認識しました。そして、本当に大らかでよく笑います。セカセカしていません。時間がゆったり流れます。その後、ほぼ毎年のように、招待してもらったり、観光客として、個人ボランティアとしてブータンに来ていました。

大学では、環境問題に興味のあった私が、満田ゼミを選んだのは自然でした。ブータンの環境保護の取り組みは、「自然主義派」の私には、常に探究したいフィールドでしたから、卒業論文のテーマにブータンの環境問題を選択しました。ブータンに関する資料がまだまだ少なかったので、卒業論文の資料集めに再度訪問しました。来るたびに人脈がどんどん広がり、毎回泊めてもらった友人達のお陰で、現地の生活に溶け込んでいきました。ブータンの虜になった私を、満田先生が講義中に”ブータン君”と呼んでいたことを今でも覚えています。

友人達との絆が強まり、自分なりの見聞が深まるにつれて、何とかしてブータンに住みたいと強く思うようになりました。ブータンの友人に相談しましたが、彼曰く。「まずは英語を習得して、その後ブータンで使える技術や知識を身に付けてからブータンに来い!――」と。

この言葉が後押しとなって、大学卒業後、すぐにカナダ留学しました。カナダでは、まず語学習得に力を入れました。ブータンに住むんだというしっかりした目標があった私には、やる気も負けん気も人一倍。町でたまたま知り合ったチベットの人達と一緒に住むようになり、英語もチベット仏教に関する知識もかなり向上しました。わずか1年後には、カナダのカレッジ入学資格の英語力は習得していました。

次にどうするのか。どんな専門分野に進むのかを思案しました。環境問題への強い関心や山育ちの自然主義など自分の適性をいろいろと考え、さらに、ブータンで必要とされている技術や知識は何かを思いめぐらした結果、それは森林関係だと判断し、森林学専攻のカレッジに入学しました。そこでの現場の地図作成技術の講義が楽しく、進んで専門書を購入し、実践で役立つ勉強を重ねました。

この森林学の技術は、私のその後の大きな「武器」となりました。GIS(地理情報システム)による森林管理技術を売り込み、個人ボランティアとして王立自然保護協会や王立国立公園、世界動物機構での仕事をしました。そして現在は、ティンプー市役所で廃棄物処理を担当しています。この部署でも、学んだ地図作成の技法や知識がとても役立っています。

カレッジ(2年)卒業後、カナダの森林関連会社で1年働き、4年制大学に編入。天然資源工学を勉強しました。カナダ滞在も5つの都市や田舎町で合計7年間。どこに居ても人と人との繋がりを大切にしたことで、世界が広がりました。人との絆が心に余裕を、そして、満面笑顔が自然に出てくる。『幸せ』とは、きっとそういうものじゃないのかと思い至りました。

2010年に大学卒業後、バンクーバー冬季オリンピックのとき、日本に一時帰国。ここでも「縁」に恵まれました。たまたま見ていたJICAのホームページで、ブータンでの環境教育をテーマにした短期ボランティア派遣の募集を見つけたのです。なんと、ブータン側の受け入れ団体は、私が2005年に初めて個人ボランティアをした環境保護団体。もちろん、すぐに応募。幸い合格して半年間その仕事に励みました。そのことが実を結んで、いまでは、ティンプー市役所での廃棄物処理担当職員として奉職しています。

偶然か、必然か。 人生は、多くの仏縁によって、すべてが万事、連綿と繋がっているように実感します。
(つづく)
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  1. 2012/07/03(火) 17:45:07|
  2. 卒業生通信

【卒業生通信】ブータン王国からのお知らせ

【卒業生通信】ブータン王国からのお知らせ
森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森
ブータン王国首都のティンプー市役所で、環境政策(ごみ問題)を担当している満田ゼミ昭和14年度卒業生中島民樹君から以下のような連絡が入りました。彼の活躍は、日テレ(読売テレビ)の『グッと地球便』でも紹介されていました。

世界で最も幸せな国と関心の高いブータン王国の環境問題や人々の日々の暮らしについて、是非聞きたいものです。異国で一人で、何事をなすのも容易いことではない。今後の彼の国際貢献に称賛の言葉を送りたい。
森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森
満田先生

クズザンポーラ

メールありがとうございます。なんだかばたばたしていてなかなかお返事ができませんでした。すみません。

私事ですが、毎週土曜日の午前8時から全国ネットで放送している、読売テレビの『ウェークアップ!ぷらす』という番組に僕が以前、出させていただいた『グッと地球便』の映像を取り入れて放送されるそうです。番組で、エコについて考える特集を放送することになったそうで、放送は6月9日。リンクは以下です。

http://www.ytv.co.jp/wakeup/index.html

どうぞよろしく

たみき

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  1. 2012/06/08(金) 20:42:26|
  2. 卒業生通信

【卒業生リレー通信】⑫

平成2年卒業の小林卓也君の物語
『平凡な銀行マンの平穏な暮らしのはずが・・・』


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だれしも平穏無事な人生を望む。もし銀行マンになったら、安泰、順風満帆の人生を思い浮かべる。少なくとも「90年代のバブル崩壊」までは。小林君がゼミ長をした平成2年度卒業生は秀逸だった。社会学部全学生の成績トップテンに満田ゼミ所属が7名。全学卒業生2000名超の総代も満田ゼミ生だった。圧倒的に優秀な学生が大挙押し寄せた。彼らのゼミ希望理由は、研究室が「知床自然保護運動」の拠点だったから。21名のゼミ生は連日研究室を占拠。資料収集、データ分析、執筆作業に協力していた。海外ゼミ合宿を実施した年でもあった。最も記憶に残るゼミ!その頂点に立つ?ゼミ長小林君が語る「人生何が起こるかわからない」卒業生リレー通信物語である。【満田記】
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平成2年卒業の小林卓也と申します。先般、何年ぶりかで満田研究室に立ち寄りました。その際、「卒業リレー通信」に執筆させて頂くことになり、同通信に目を通し、それぞれの内容に秘められた諸先輩や後輩の深い信念と堅固な意思、そして活躍の様子を知り、あらためて満田ゼミは良き伝統を持つと再認識しました。私個人は一般庶民と自覚していますので、ちょっと気後れしつつも、満田ゼミ現役生を応援するために、主に就職活動についてお話します。

さて、今、私の目前に『知床の自然と住民生活ー知床国有林伐採問題の事例研究ー』という表題の報告書が置いてあります。この報告書は、私たち平成2年満田ゼミ卒業生が、2年間の北海道知床自然保護に関する調査研究をまとめたものです。知床国有林伐採問題を事例に 自然環境をめぐる社会的対立を明らかにし、「自然を守り、人々の生活も守れる新しい自然保護の あり方」を議論するのが共通課題でした。
知床調査票表紙002
『知床の自然と住民生活ー知床国有林伐採問題の事例研究ー』報告書
知床自然と生活調査資料 表紙001
知床自然と生活調査票表紙
 3回生のゼミ選択当時、机上での勉強が嫌いだった私は、「満田ゼミはなんか面白そう・・・」という理由だけでゼミ選択し説明会に出席しました。「今年は当たり年だ!」との先生の言葉どおり、「女性優位で成績優秀者が居並ぶ精鋭集団」でした。私がこともあろうに、まとめ役のゼミ長に任命されました。安直なゼミ選択の結果、過酷で苦労の多い、勉強漬けの学生生活をおくるハメとなりました。

ただ、ゼミ長として己から逃避せず、共同作業を一生懸命に遂行することで、自分自身は大きく成長した・・・と 信じたいです。知床調査研究では、良きメンバーに恵まれ、相互に支えあい協力しながら、知床半島の大地で予備調査し、夏休みには、斜里町宇登呂地区全世帯を対象としたアンケートや聞き取りなど、10日間の実地調査を成功させた。学生生活を思い出すと、ゼミのメンバー21名全員が共同目標を持ち、充実した2年間を過ごせたと今でも感謝しています。
平成2年度満田ゼミ調査実習室2
平成2年度満田ゼミ調査実習室で研究三昧【研究室を探したら、懐かしい卒業アルバムを発見。以下のキャプションは満田記】
平成2年度満田ゼミ集合写真2
平成2年度満田ゼミの精鋭たち??
平成2年度満田ゼミ(海外合宿)2
海外合宿(グアム)で誕生日を祝ってくれた。プレゼントのペンは今でも宝物。本物の拳銃を撃つのが小林君

さて就職活動に話題を変えましょう。私たちの時代は成長バブルの後半期。現役大学生からすると 羨ましいと思える程、就職は簡単でした。私は地方銀行に就職しましたが、その志望理由は、土・日連休、自宅通勤、さらに安定収入と銀行ブランドという安易なものでした。しかし現実は「甘い見通し、過酷な生活」の繰り返し。平日はノルマに追われ終電帰宅。週末休日も自宅で仕事。バブル崩壊後の金融不安で給料も長らく上がらず、挙句の果てに就職した銀行が破綻!!!

破綻の日、何も知らずに営業回りに出かけた。お得意さんを訪問したら、「おたくの銀行、今倒産したとテレビ報道してたよ」とひそひそと告げられた。慌てて支店に戻ったら、支店長からあり得ない破綻報告に愕然。次の日、見たこともない、業界用語で座布団(ザブトン)が8つ、急きょ運び込まれた。銀行では、私もレンガはよく取り扱いました。しかし、ザブトンが積み上げられたのを眼前にし、やっと銀行破綻という現実を受け入れました。銀行破綻は必ず金曜日に発表しますが、それは、週末に「取りつけ騒ぎ」対策を準備するのです。
(注)「ザブトン」とは1億円の札束の山、「レンガ」は1000万円パックのこと。大きさ、厚さの形状が似ているための呼称。
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皆さんが気にされたと思うので、平穏無事な近況を知らせておきます。銀行破綻後、警備会社⇒人材派遣会社⇒エクステリア メーカーを経て、現在は京都共済協同組合に勤務しております。現在の職場が最も小規模ですが、だからこそ営業職のほか、さまざまな 仕事を全任されます。企画やポスター・ホームページ作成などなど、具体的な成果が見えるので、やりがいは最高です。打ち込める仕事は、企業のブランド力や規模のサイズでは計れないと実感しています。本当に幸運が重なったと感謝しています。

就職難を勝ち抜くアドバイスをしましょう。私のような安易な選択による誤謬を避けるためにも。
① 自分のやりたいこと(夢・希望・情熱)②自己能力(スキル)を把握し、③将来のビジョンや取り巻く環境を踏まえて、④業種や職種を絞って下さい。とくに留意すべき点は、会社の大小の規模や 有名・無名というブランドに左右されることなく選定する。就職する企業は、選ばれるのではなく、選ぶという立場で自信を持って、就活に臨んでください。

 次に、最近の若者の職場での態度や行動から気になる点を列挙します。
1.「なんとなく過ごす」若者
なんとなく仕事をしている若者が多いのが気になります。与えられる企業目標もありますが、自己目標を決めて仕事を進めると、仕事に楽しさ、やりがいが生まれます。「3日坊主」のように楽な方に流されがちです。自己目標を継続するには、強い意志が必要です。学生時代から継続力を養って下さい。
2.「人間関係を面倒に思う」若者
 個性は尊重すべきです。しかし就職すれば、会社にはひとつの集団・組織として、独自の企業文化、経営理念や規律があります。従業員全員が共同しなければ、企業業績は上がりません。コミュニケーション能力、協調性、そして、笑顔は社内でも、取引先でも重要です。同業他社と合併した時の私の経験から、人間関係の有無が大きな武器となることを体験しました。人間関係こそが人生の岐路!
3.「注意されることを嫌う」若者
「叱ればすぐに折れる。すぐにあきらめる」との風評を耳にします。失敗のない人はいません。同じ間違いをしないための叱責は感謝です。期待されるからこそ叱られる。会社で叱られなくなったら終わり。失敗や叱責を恐れず、自己目標を継続すべきです。
4.「礼儀や規律を守れない」「挨拶のできない」若者
約束厳守や挨拶・礼儀は、いつの世でも、どこの社会でも基本です。「ただ今、帰社しました」「ありがとうございます」が自然と口から出るように気配りを。最近驚いたのは、打ち合わせ時間を平気で反故にする若者がいたことです。相手への配慮が希薄だと感じます。いくら専門知識や技術能力が卓越していても、 他者からの信頼がなければ、仕事はできません。
5.「すぐに離職する」若者
企業で仕事に満足することは困難です。 希望した仕事ではないと、理想と現実に悩むことは 誰にでもあります。雇う側の企業は、新入社員は即戦力とは考えていません。1年程度の教育研修期間に耐え切れず、離職・転職しても、良い結果を生むとは限りません。就職難を乗り越えた職場なら、「石の上にも3年」忍耐が必要です。
ステップアップのための転職のチャンスを考慮しても、早期離脱は得策ではない。「取れるものを取るまで、しがみつく」気概が大切かも。

私は卒業して20年余り、45歳の中年となりました。高額所得や社会的名声とは無縁です。 平均的サラリーマンの幸せとは、自分を必要としてくれる企業や人間がいる事、そして、いつも暖かく迎えてくれる家族だと心から思います。「可もなく、不可もなく生きてきた」との自戒の念からいろいろ書きました。就職活動の参考にして下さい

最後に、高杉晋作の辞世の句です。

おもしろきこともなき世をおもしろく 棲みなすものは心なりけり
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小林君が研究室に来た帰り際、スマホに保存した家族写真を見せながら、「うちも受験生です」と父親の顔になった。「平凡、平穏こそ、人生の至福」と言いたげに別れの言葉を交わした。【満田記】

【小林君への在学生からのメッセージ】
平凡なフツ~の生活ほど憧れる。


知床写真ナショナルトラスト
知床ナショナルトラスト(100平方メートル運動地)
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  1. 2012/05/12(土) 03:19:33|
  2. 卒業生通信

【卒業生リレー通信】⑪

【卒業生リレー通信】⑪
山口武君からの伝言
災害記者が語る「人こそすべて」

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山口君と棟方君はゼミ同期で成績優秀であった。互いに切磋琢磨しマスコミという同一業界に勤めている。満田ゼミでは、このような就職パターンは公務員や教員には多い。JR東とJR西にゼミ同期で就職した女性たちもいた。

さて、私は山口君を「災害記者」と呼んでいる。彼のいくところ、なぜか大災害や大事故が起こり、記者として最前線に飛び込むのが彼の任務。阪神大震災のとき、まだ火災が神戸を覆い尽くしていたが、彼は一升瓶を片手に被災現場に立った。焼け野原には、崩壊した家屋に茫然とする被災民、子供を亡くした母親、略奪現場に慄く人々などなど、報道できない厳しい現実があった。デスクからは「取ってくるまで帰社するな」との命。食事もトイレも睡眠もなく、現場を駆け回り、眼前を記事にする。駆け出しの時から一升瓶持参の「災害記者」は、今ではデスクに座る。【満田記】
(トイレができない現場では、固形食料は厳禁。液体のエネルギー補給源として一升瓶は有効だと山口君の説明)
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日本農業新聞山口君

平成4年卒業の山口武と申します。農業の専門紙である日本農業新聞で働いています。満田先生からゼミの後輩に仕事とは何か、アドバイスを求められました。

私の在学中はバブル時代(20年も前ですから、知らないでしょう)。当時は、初任給も高く、就職も簡単で、会社をいくつも選択できた。同級生はそれなりの有名な会社に入り、それなりの高給をもらいました。私は新聞社を選びました。新聞社と言えば、何かカッコいいイメージがあると思いますが、休みや勤務時間なんてあってなきもの。給料も安い上に、過重労働で、あまりお勧めできません。就職が決まった時に満田先生にも言われました。「お前、そんなところに行くのか」と。

新聞社の仕事でひとつ誇れるものがあります。それは、どんな人にも直接会って取材できることです。新聞記者の仕事は現場が一番。どれだけITが進化しようと、すべては現場にあり、人がすべてなのです。わが社にも毎年、新入社員が入りますが、最近は新聞社志望なのに、人に会い話すことが苦手な奇人が多くいます。

大学時代、現場主義の満田先生は、ゼミ生に①現場に行け ②人に会え ③継続せよーーと、口酸っぱく言っていました。私は、今も満田先生の教えを立派に守っていますが、そのため、満田先生によく酷使されています(笑)。

私は、記者13年、新聞勧誘5年、広告担当1年、今は整理部で紙面製作を2年しています。記者時代はまことに波乱万丈でした。取材に行った過酷な現場だけでも、釧路沖地震、北海道南西沖地震、名古屋空港の航空機墜落、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、オウム真理教の麻原彰晃逮捕、宮崎県の口蹄疫、BSE(狂牛病)発生などなど・・・数えきれないほどです。
阪神淡路大震災1
阪神淡路大震災現場:焼け焦げたご遺体の場に粗末な墓標と蝋燭がたむけられる(日本農業新聞社提供)
阪神淡路大震災2
"阪神淡路大震災現場:震災半月以上たっても体育館に雑魚寝。イザという時に役立たずの中央政府は後手だ!(日本農業新聞社提供

過酷な現場にいくと、必ず人の日々の営みがあります。そこでは、人生の悲哀というか、不条理によって、人生観が一変するような凄惨な現実も数多く見ました。現場で立ちすくし、呆然茫然。無力感で涙を流したこともありました。たとえ地獄絵であっても、被害者や被災者の苦悩や嗚咽を、冷徹に紙面を通して読者に訴え、少しでも現実を変えたいとの一途な思いで記事を書きました。もちろん、書いた記事内容が、現場のすべてを網羅し表現できたり、あるべき対策をアピールできたわけではありません。しかしそれでも、自分の紙面によって、ある人の、ある地域の問題解決に役立った時の達成感と高揚感は、何事にも代えがたいものです。

昨年の東日本大震災の時、大津波をテレビで見ながら、自然の猛威に圧倒され、無力感に襲われました。さらに福島原発事故は、メディアの限界を痛感しただけでなく、一般市民としてもショックでした。私のように東京在住で子どもを持つ親たちにとっては、危険な放射性物質が身近に存在し、健康被害の可能性が心配で、毎日が不安です。関西以西に引越した人もおり、外資系会社の社長が日本から避難するほどです。福島原発の避難住民は、今でも帰宅困難で、毎日健康不安に怯え、将来展望が持てない。そのような人が何万もいるのです。何とかしたいという使命感は強く持っています。
 
皆さんは就職難と言われ、大変な思いをしていると思います。自分が誇れる仕事を探してください。会社の大・小、有名・無名、日本や海外は関係ありません。学歴なんて仕事には関係ありません。自分は何のために、何をしたいか、そういう気持ちが大事です。

私は、首相、大会社社長、高級官僚、お金持ちなどエリートと呼ばれる方々に出会いました。彼らも一人の人間にすぎません。私は、農家や労働者、サラリーマン、衆人と呼ばれる方も取材しました。人間として、自分に正直に生き、自分のやりたいことを地道に営む方こそが輝いています。仕事を通してかれらと出会うことで、どれだけ自分が成長したかと実感しています。

最後に、作家の伊集院静の次の言葉は示唆に富みます。「すぐに役立つ人間ほど、その後は役に立たない。それより鍛えろ、鋼のように、日々鍛えてほしい」

皆さんは、胸を張って、自分が誇れる仕事を探して下さい。


++++++++++++++++つづく++++++++++++++
【満田追記】山口君はプロの仕事をするから私のお気に入りだ。私が知床国立公園での伐採反対運動をしていたとき、知床問題に関わる年表が必要だった。主体間分析のための5W1H情報を網羅したかった。今とは異なり、新聞記事のデータベースが完備していなかったし、一部の記事は紙媒体管理だった。そこで札幌に勤務していた彼にたった一言、依頼した。「仕事を頼む」

かれは完璧にデータ整理し、知床年表を完成してくれた。私はそれを英語に翻訳し、国際学会誌 Environmental History Reviewに投稿した論文に活用した。

依頼者が求める内容を勝手に察知し、期待以上の成果を示すプロの仕事に感謝している。
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プロフィール

佛教大学社会学部満田研究室

Author:佛教大学社会学部満田研究室
【本ブログの休止と新ブログ『マラリア通信(仮称)』のお知らせ】
満田研究室ブログは、2009年満田教授の海外研修の時、満田ゼミ生との情報交流のために開設された海外通信ブログ。インドネシアのマラリア制圧に関する情報からエコツアー、原発、感染症パンデミックなどのホットな話題をブログ形式でお送りしてきました。
満田教授は、2009年4月から半年間のドイツ・オスナブリュック大学日本研究所とイ ンドネシア国立マタラム大学医学部での海外研修から帰国。さらに10月から3月までの京都大学大学院経済学研究科での研究員生活を終え、2010年4月からは佛教大学社会学部公共政策学科教授に復職しました。
2011年からはマラリア制圧のために、セレベス、パプア、アロール島などでマラリア医療支援活動を継続。また、エクアドルのアマゾンジャングルにある世界で最も生物多様性が高いヤスニ国立公園の自然保護活動や、ベトナム政府および国連機関とのベトナム農村での持続可能な観光に関する共同研究も実施しました。
2013年12月からセレベス島北端のバンカ島で中国企業による鉄鉱石開発からジュゴンを守る国際NPO[ジュゴン環太平洋ネットワーク]の創設準備。沖縄辺野古沖のジュゴンに関する基本情報を収集し、ジュゴン保護に関する研究を実施しました。
2019年3月、佛教大学社会学部を定年退職(同大学名誉教授)。 9月からインドネシア国立マタラム大学医学部客員教授として、ロンボク島でのマラリア撲滅のための社会貢献活動に尽力する予定です。

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