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【満田研究室ブログ】

佛教大学社会学部満田久義研究室通信

変貌するロンボク(4)

”大自然のパーティー・アイランド:マラリアよりもマリファナ & エイズ”

ロンボク島のエコツーリズム(4): 今注目の「パーティアイランド」トラワンガン島を紹介します。

ハイシーズンの8月初旬、9年ぶりにギリ3小島のひとつトラワンガン島を訪れ、あまりの激変に度肝を抜かれた。ロンボクの観光(マスツーリズム)といえば、老舗のスンギギ地区と美しい小さな3島からなるギリ地区である。ギリの中でもトラワンガン島が今最も注目されている。

写真1知られざる南の楽園だったトラワンガン
知られざる南の楽園だったトラワンガン

9年前は、チドモ(小さな馬車)がシャンシャンと鈴を鳴らしながら海岸沿いの小道を走り去る、大自然以外何もないのどかな島だった。南の島の楽園を求めるバックパッカーが、その夜のHOME STAY(500円から1000円程度の安宿)に流れ着くだけの、あまりに美しすぎるSEA/SKY/SANDの三拍子揃った究極のパラダイスだった。

写真2チドモが唯一の交通手段(車は1台もない)
チドモが唯一の交通手段(車は1台もない)

当時の島にはとくに産業はなく極めて貧しく、マラリア高度感染地域だったからマラリア予防薬を呑み、蚊取り線香を持参した。1日5回敬虔な祈りをささげるイスラムの島だった。しかし今や、島を一周するビーチ沿いはリゾート開発が進み、新築のスター・ホテルは超人気、8月は欧州からのバカンス客で予約が取れない。紺碧のビーチには三角布にヒモだけの金髪女性が闊歩し、深夜までライブ音楽が鳴り響くパーティ島に変貌していた。かってのマラリア蚊の生息地には、ホテル・ロッジ・レストラン・土産屋が立ち並び、村人が夜空を楽しんだ砂浜には、カップルが抱擁し合っている。

以前は対岸のロンボク本島の「浜」から運び屋さんに肩車され乗船、クリヌキ舟で1時間以上、荒波を乗り越えて島にやっとたどり着いた。しかし4年前からは、バリ島から高速艇で1日3便、約1時間で楽着。バリから満載されたリゾート客はロンボク本島でなく、トラワンガンのホテル・ビラ・コッテージに直行する。

写真3パーティ島の夜
パーティ島の夜

夜になるとBBQの煙が立ち込める屋外レストランでは、3~500gもありそうなロブスターを満喫する客で賑わう。そこで、たまたま出会ったアジアンリゾートのホテルマネージャーが語るトラワンガン観光の将来性について。

「バリ島はもう駄目ね。空港に到着いきなり1時間待ちの入国査証はないでしょう。お気に入りホテルはどこもハイシーズンの直前予約は無理、物価は来るたびに上がるし、島の笑顔が商品になったらおしまい」と手厳しい。「トラワンガンの大自然の美しさは最高。目立ったセールスポイントがバリに比べるとインパクトがなかっただけ。これからはBEYOND BALIの筆頭でしょう。2010年にはロンボク新国際空港ができ、同島南部に大規模なマリーナと5星ホテルが立ち並ぶリゾート開発も進む。現在はシンガポールからのシルクエアーだけだが、新空港にはAIRBUSが世界中から直接乗入。大型飛行機は100万円のハイエンドから5万円のパックまで多様なリゾート客を運ぶ。それに応じてリゾート開発は多様性をもつ。現在のスンギギリゾートはもちろん、バリ島サヌールのような南部リゾート新開発も可能性はありそう。とくに、クルージング、ダイビング、サーフィンなどのwater sportはいいわね」と。

ダイビングの感想は、「ビーチから30分以内でポイント。エントリーも簡単。綺麗なサンゴ、熱帯魚は問題なし。それにサメ・カメ・ウツボ・ウミウシ・ガーデンイールなどなど定番は揃っているし、タツノオトシゴやピンク色のイザリウオの赤ちゃんはカワイイ。ショップもしっかりしている。初心者には安全安心の合格点」

写真4夜の宴が終わり早朝まで浜辺で爆睡
夜の宴が終わり早朝まで浜辺で爆睡

早朝、浜辺を散歩していたら、夜宴の余韻か、泥酔者が浜辺で爆睡していた。「マラリア蚊に御用心!」とマジで言いたかったが、昨夜のホテルマネージャーの話を思い出した。「これからの心配はマラリアではなく、マリファナとエイズです」これは現実を直視したリアル話だ。一昔前は”RICH NATURE, BUT POOR PEOPLE”だった。いまや”RICH NATURE AND RICH PEOPLE"を目指してリゾート開発が進む。こよなく愛した最後の楽園が汚されないよう祈りたい。


  1. 2009/08/30(日) 23:37:04|
  2. エコツーリズムへの招待
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NO MORE TUNAMI、あれから5年(7)

”カナダ被災者住宅村のガイド運転手”
ムハメド アダム(50歳)タクシー運転手兼ガイド。
Mutiara Cemerlang Sub-village, Baitussalam Sub-districtにて。
09年8月2日聞取

****************************************************

最後のインタビューは、今回の調査の“斥候”という重要な任務を果たしてくれたガイド兼運転手、ムハメド・アダムさんです。彼は、私の5年前のアチェ津波被災地のあやふやな記憶を蘇らせ、目的地到達まで何度も何度も車を走らせてくれた功労者だ。彼は数か月前にユネスコが実施した津波復興と国際支援に関する調査の運転手を担当し、研究目的が重なる私の調査に生かしてくれた。ユネスコ調査の詳細は分からないが、約100の国連、政府、NGOなど国際支援関係機関に同一調査票を用いてインタビューを実施、調査報告が待たれる。

通称カナダ村の彼の自宅新居に招かれた。そこは海岸線から地の果てまで、全てが破壊され一掃された最大被害地区の、しかもど真ん中。彼の住んでいたムチアラ・セマーラング(Mutiara Cemerlang)小村の場合、家族全員が無事だった世帯は10~15%ぐらいで、ほとんどの世帯は家族メンバーを失い、1~2名のみが生存できたという最も激甚災害地区だ。

その何もかもが一掃され瓦礫と泥水の津波野原に、カナダ赤十字社が2009年9月に完成させた被災者住宅村がある。カナダ村はワイン色の瓦葺、1階建1LDK。ガス(プロパン)・電気・水道完備。トイレも清潔で、十分な広さはないが、以前の住宅よりは格段に良いと。玄関を入るとリビング、その奥に食卓室と寝室がある。その奥が台所とトイレという構造だ。各部屋は6畳程度とベッドを置くと空間はないが、家具もほとんどないので支障はない。

1カナダ村の被災者住宅群
カナダ村の被災者住宅群

被災者住宅村は、同一の屋根色、統一された構造の家々が幾重にも続いているのですぐわかる。例えば、ジャッキー・チェーン村(正式名称は「中国・インドネシア友好村」)が有名だが、映画俳優の寄付を含め中国からの支援で、丘を切り開き住宅開発され、道路や水道を設置しモスクも集会場もある。赤紫屋根の平屋が立ち並ぶ光景は、日本の郊外に見られる建売住宅の雰囲気がある。

2典型的な被災者集合住宅
典型的な被災者集合住宅

さて、彼は、ピディ(Pidie)地区のシグリ(Sigli)村で生まれた。バンダアチェに移ってきたのは1979年で、シグリでは仕事がなく就業機会を求め都会に出た。最初の仕事は、3輪バイク・タクシー「ペチャ」の運転手だった。それからしばらくし、ラホンガ地区にあるPT SAIセメント会社の運転手として3年間を勤めた。そのとき節約、貯金をし、25歳になって営業用車を購入した。独立を契機に結婚、2人の娘が生まれた。彼女たちは大学卒業後、就職結婚している。妻は故郷シグリの高校校長である。

3被災地調査の斥候ドライバーの自宅
被災地調査の斥候ドライバーの自宅

大津波のときは、家族全員は故郷のスグリの妻の家にいた。地震後、自宅が心配になり、何度も自宅までの突入を試みたが、道路が瓦礫と泥水で埋め尽くされ、最初の日は自宅へは行けなかった。その後も必死になってやっと4日かかって自宅にたどり着けた。そして現実に自宅も家財も何もかもが破壊され完全消失、家の土台の一部を残し全てを失ったことが分かった。愕然とし、悲しみと喪失感にさいなまれながら故郷に戻った。だがそのことを知った家族はすぐに、自宅再建まで自宅敷地にフェンスをはり、収入が途絶えるのに備えて食料確保のために畑を始めることを決めた。だが彼は、「家の再建は夢物語だ!もう家など持てない」と独白発露。2008年に国際支援によって新築工事が完了するまで、ずっと夢物語だと信じていた。

彼の記憶では、甚大な被害を受けたにもかからわず、彼の村に救援物資が届いたのは津波から1カ月後であった。娘たちは絶望し、元住所に住宅再建することを諦め始めた。地震後の1週間は強烈な余震が毎日頻繁に起こっていたし、津波の恐怖は被災者全員にあった。結局、仮設バラック住宅が建設され、カナダ村の新居が完成するまで、妻の家に家族全員で滞在し、バンダアチェの自宅とシグリの妻の家を往復する日々が続いた。

津波の1カ月後からは、国連、各国政府、NGO団体など国内外から数多くの支援や寄付があり、飲料水、食料、衣服、シェルター、家など生存に不可欠なものを供給してくれた。もし国際NGOの活動がなかったら、もっと多くの犠牲者がでただろうし、復興も遅延しただろう。国際支援には心から感謝している。

最後に彼も「大津波によって、全知全能のアラーに近づくことができたし、アチェ和平という祝福もあった。失った過去よりも将来のことを考えたい」と。

  1. 2009/08/29(土) 00:40:42|
  2. NO MORE TUNAMI、アチェ、そして東日本
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プロフィール

佛教大学社会学部満田研究室

Author:佛教大学社会学部満田研究室
【本ブログの休止と新ブログ『マラリア通信(仮称)』のお知らせ】
満田研究室ブログは、2009年満田教授の海外研修の時、満田ゼミ生との情報交流のために開設された海外通信ブログ。インドネシアのマラリア制圧に関する情報からエコツアー、原発、感染症パンデミックなどのホットな話題をブログ形式でお送りしてきました。
満田教授は、2009年4月から半年間のドイツ・オスナブリュック大学日本研究所とイ ンドネシア国立マタラム大学医学部での海外研修から帰国。さらに10月から3月までの京都大学大学院経済学研究科での研究員生活を終え、2010年4月からは佛教大学社会学部公共政策学科教授に復職しました。
2011年からはマラリア制圧のために、セレベス、パプア、アロール島などでマラリア医療支援活動を継続。また、エクアドルのアマゾンジャングルにある世界で最も生物多様性が高いヤスニ国立公園の自然保護活動や、ベトナム政府および国連機関とのベトナム農村での持続可能な観光に関する共同研究も実施しました。
2013年12月からセレベス島北端のバンカ島で中国企業による鉄鉱石開発からジュゴンを守る国際NPO[ジュゴン環太平洋ネットワーク]の創設準備。沖縄辺野古沖のジュゴンに関する基本情報を収集し、ジュゴン保護に関する研究を実施しました。
2019年3月、佛教大学社会学部を定年退職(同大学名誉教授)。 9月からインドネシア国立マタラム大学医学部客員教授として、ロンボク島でのマラリア撲滅のための社会貢献活動に尽力する予定です。

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