■「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があった」との天皇のお言葉(4月8日午前、パラオへの戦没者の慰霊の出発を前に)

”本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。
パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。
この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。
この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。”

ジャングルには無数の洞窟と生き埋めにされた日本兵。腰をかがめて小さな洞窟に入ると、そこは身動きができないような狭空間。圧倒的な敵軍がくるまで、ただただ孤立無援で耐え忍ぶ。食料も水もなく、マラリア蚊。
私が帰ろうとすると、地底から手が伸び、動けなくなる。”きっと帰りたいのであろう”と両手いっぱいにして、彼らの思いを抱き抱える””日本へ帰ろう。一緒に帰りましょう!”と。
肉体は滅びても、御霊は洞窟に彷徨う。一人で10人の兵士の思いを帰郷させるとの胸懐。もし、10人の日本の若者なら、100以上もの御霊が帰国できるかも?ならば、100人の若者が手助けしてくれたら、1000人の兵士の帰郷の念が・・・。毎年、一人でも、より多くの日本人がペリリューをはじめ、戦没者の島々を訪ねてあげたら、きっと喜んでもらえると思う。観光地パラオへは直行便も飛んでいる。ペリリュ―島へはボートでたった1時間だ。

洞窟に入ると、”帰りたい”とささやく声が聞こえる

放置されたままの日本戦車

日本軍の大砲跡。使われた形跡が見えなかった。

この美しい海岸。真っ黒に埋め尽くす米軍上陸用艦艇の波。そして、そのあとには無数の屍が引き摺られていく。
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- 2015/04/12(日) 10:27:56|
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